テンポイントの詩

10月2日の日記のタイトル「もし朝がくれば」はこの歌の出だしです。
テンポイントは30年程前の名馬でした。栗毛の綺麗な馬でした。この馬にはドラマがあるんです。おばあさんの代から3代続くドラマが。
おばあさんのクモワカ、この馬も桜花賞2着するほどのいい馬でした。このクモワカに伝染性貧血症の疑いが掛けられました。この病気になると殺処分されます。しかし、厩舎関係者は絶対病気ではないと確信していました。そして、ある夜、厩務員がこっそりクモワカを連れて北海道へ。何日も何週間もかけて、誰にも見つからないように北海道の生まれ故郷の牧場に帰っていきました。
それからが大変。伝染性貧血ではないと訴えて裁判が。負ければ殺されてしまいます。裁判は延々11年続きました。その間に生まれた子供は当然、レースには出られません。そして、ついに勝訴。その直後に生まれた牝馬がワカクモです。
本来ならこの世に存在しなかった、クモワカの子供ワカクモ。ワカクモは桜花賞を勝ちました。母の雪辱を果たしました。
ワカクモの子供がテンポイント。あのワカクモの子だということで前評判も高く、デビュー5戦5勝。そして勇躍、皐月賞へ。ところが、厩務員ストのため、レースが1ヶ月以上も遅れる異常事態に。その間、調子を崩したテンポイント。逆に調子を上げていったのが永遠のライバル、トウショウボーイでした。結果、トウショウボーイが勝ち、テンポイントは2着。
その後、ダービーは故障、菊花賞は宿敵トウショウボーイに勝ったと思った瞬間、内から刺客グリーングラスに差され、4歳(今の3歳)クラシックレースは無冠に終わりました。暮れの有馬記念トウショウボーイに敗れ2着。
もうこうなったら、打倒トウショウボーイしか念頭にありません。トウショウボーイが出ていない天皇賞グリーングラスに雪辱し、いよいよトウショウボーイとの5たび目の勝負の舞台、宝塚記念へ。相手はトウショウボーイしかありません。先頭を行くトウショウボーイだけをスタートからずっとマークし続けて、ずっと直後につけて、ゴールまでずっとその差は変わりませんでした。
そこでわたいは叫びました。「今度は逃げろ!」スタートからゴールまで2頭の差が変わらないのなら、終始トウショウボーイの前にいたら勝てるはず。見事な素人考え。でも、これがまんざらそうでもなかったんです。
夏が過ぎ、秋。休養でリフレッシュしたテンポイントは、綺麗だが華奢なイメージがあった4歳時とは見違えるばかりのたくましい馬体に。そして、逃げた。厩舎サイドの考えもわたいと同じだったんですね。トウショウボーイとの最後の対戦、有馬記念までの前哨戦2戦は逃げて大差勝ちでした。
運命の決戦、有馬記念。ここまでの2頭の対決はテンポイントの1勝4敗。トウショウボーイはこれがラストレース。勝つチャンスはここしかありません。
ゲートが開き、トウショウボーイが先頭、テンポイントは2番手。あとの馬は後ろに取り残される。宝塚記念と同じ展開。「またか!」と思ったが、そこからが違う。コーナーコーナーでテンポイントトウショウボーイの内に入り、トウショウボーイの前に出るんです。トウショウボーイに揺さぶりをかけるという、トウショウボーイにだけ有効な作戦。普通、こんなことをしたら2頭ともばてるんですが、そうはならない自信が2頭にはある。
そして、直線。今度は外から並びかけたテンポイントが抜きに掛かる。トウショウボーイも必死で食い下がる。
ゴール! わずかの差でテンポイントが勝ちました。ついにテンポイントが勝ったんです。
そして、この2頭の後ろにはいつもグリーングラスがいました。テンポイントトウショウボーイグリーングラス、この3頭が繰り広げたような名勝負は、もう二度と見ることはできないでしょう。
宿敵を破ったテンポイントは、戦いの場を海外に求めました。凱旋門賞に出る。強い馬と戦う。関係者の願いはこれだけ。当時は今と違って、海外遠征するだけでもすごいことだったんです。わたいの願いも、勝てたら最高なんですが、例え負けても、強い馬に揉まれてよりたくましく立派になったテンポイントを見ることでした。
有馬記念は関東でのレースで、海外遠征の前に地元の関西のファンに「行って来ます」と挨拶で走った1月22日。風花が舞ってました。
1月22日から亡くなる3月5日まで、テンポイントは生涯で一番の辛くきびしい戦いを戦ってくれました。
ということがあるからさぁ、今回のディープインパクトの引退には落胆した。わたいは競馬にロマンを求める悪癖がある。おカネ優先の世界には何の興味もない。オグリキャップのときもナリタブライアンのときも同じように嫌気が差した。馬には何の罪もないんだけど。
わたいにとっての日本最強の馬はテンポイントや。海外遠征から帰って、たくましく成長したテンポイントにどんな馬もかなうわけがない。