モヤシのひげと風のガーデン

同級生と飲み会。料理はコースで。焼酎は薩摩小鶴。

デザートのフルーツのメロン一切れを横のもんがわたいの皿に。あんまり好きではないようだ。「えっ」というわたいの声に「嫌い?」と聞く。「いや、嫌いというか、今は好きといおうか・・・」

で、そこからわたいの母親談議。母親がもうあかんというようになって、わたいは何にもしてあげられない。せめて好物でも食べらせたいと思って買うてきたのが1個6,825円のメロン。近くのスーパーでは980円のんしかなかったからデパートに行って。最後になるかもしれないからね。

ちょっとは食べてくれたし、ほんまに最後の日は絞り汁も飲んでくれた。口を湿らせる程度でも飲んでくれた。

わたいもおすそ分けで食べたけど、これが泣けるほどおいしかった。それまで、あまり好きではなかったんだけどね。そんなもん、もう嫌いやなんて言えないよ。

いや、母親が生きてるときは、人前で母親の話題など絶対出さなかったんだけどね。もう本人いてないからね、わたいが母親の話をしなかったら、本人が自分をアピールできないから、ほんまにみんなの心から消えてしまうような気がしてね。

ほんなら、横のもんがモヤシのひげの話をしてくれた。わたいらが通っていた頃の養護学校は、障害が重度の生徒には母親が付き添いでついて来ていた。授業中、教室にはあまり入ることはないけどね。母親の控え室があって、そこでうちの母親がときどきモヤシのひげを取っていた。それ、わたいは覚えているが、横のもんも覚えているてねぇ。どんだけ取っとったんや。ほんで、教室までモヤシ持って入っとったんか? そのくらいやりかねん母親ではあるが。

横のもん、今もモヤシはひげを取るて。取った方がおいしいことを、うちの母親を見て教えられたと。

こんな嬉しいことはない。涙が出るほど嬉しい。

それはデザートのときだったけど、その前には、他のもんに笑い声が母親に似てると言われたしね。

薩摩小鶴はおいしいね。

帰って、留守録していた「風のガーデン」を観る。人生を語る科白の一言一言が胸に響く。

緒形拳さんが富良野で老人医療に携わる町医者役。中井貴一さん扮する、東京の大病院で麻酔医をしている息子がガンに冒される。仲違いしている父子は関係をどう再生させていくのか。

緒形さんはこの役にどんな気持ちで取り組んではったのか。ある種、残酷で、それでいて、ある種、これ以上の幸せはないんじゃないか。緒形拳さんの最後の仕事。涙が止まらない。