紅葉狩り

日曜、離宮公園に行った。家を出たのは夕方。土日月の3日間、ライトアップしてたから。電車代浮かすため、一駅手前からてくてくと。そこいらの町名に見覚えが。亡くならはってもう20年になるだろうか、中学のときの恩師が住んではった町。昔、この道を歩いてはったんだろうな。

公園東門から入ると、すぐにもみじの道、そしてもみじの滝へ。あまり赤くない。ほとんど緑だ。お茶会や小規模イベントが行われる和室建物の庭も同じく緑。まだ早いのか。果たして紅葉するのか。それでも、三脚立てて撮影する、おっちゃん写真家は何人かいたけど。そこそこ寒い中行ったのに、ちょっと残念。

わたいは桜よりも紅葉が好きだ。ピンク一色もいいが、赤、黄、緑、といっても単純に三色ではなく、微妙に違う色たちが散りばめられた様子がいい。桜も紅葉もどちらも儚いのだけれど、儚さが違うように思う。花は散っても終りじゃない。実になる前の装いだから。だけど、枯葉は終わりだ。土に返るだけ。

わたいが紅葉を好きだと意識しだしたのは、10年ちょっと前からか。電動車椅子を使用しだしたのが13年前だから、そんなもんだろう。

それまでは一人で外出したことがない。いつも母親がいっしょ。超が何個も付く超過保護な親子だ。一人で外など行けまっかいな。

それが、電動車椅子使用許可。母親にとって大きな決断だっただろう。その頃は周りに電動車椅子を使う者が増えてきていたので、認めないというわけにもいかない空気だったんだろうか。

それでも、初めの頃は、行動範囲は狭い。家の近所だけ。交通機関を使うのは不許可。いわば散歩。歩いて10分ほどのギャラリーによく顔を出していた。西村由紀江似のおねえさんがいたから。

それから程なく、割と近所の人工島、六甲アイランドまでOKになる。六甲ライナーという交通機関は使うが、いうても、まぁ近いし。シネコンがあるので、よく通っていた。

六アイのこの時期、北口駅からセンター駅にかけて、ライナーの車窓から見下ろす景色は絶景だった。緑を意識した街づくりをしているので、街路樹どころではなく、コンパクトな森が連なっているような感じ。その全てが紅葉する。紅葉を念頭において植樹しているのだろう。配色が見事だ。命あるイルミネーション。最もお気に入りの風景。

数年ごとに一人歩きの行動半径が広がってきた。三宮の映画館にも行けるようになる。ちょっとして、落語にも行くようになる。元町の恋雅亭。甲子園の鶴瓶師匠の一門会。そうなってくると、落語の本場は大阪。やはり、行きたい虫はうずく。

近所を散歩の頃からは信じられない、生まれてそれまでの親子関係からは想像もできないことなんだけど、一人で三宮へ、そして大阪へ行くという段になっても、ほとんど障壁もなく、かなりスムースに「ええよ」ということになる。あの恐い母親が「ええよ」である。普通ならあり得る話ではない。

だから、普通ではなかった。母親はそれまでのように自分が連れて行きたくても、行けないようになっていた。肝臓が悪い上に骨粗しょう症。自分では骨粗しょう症の方を重く捉えていたように思う。実際、腰痛は度々あったし、後年は杖もついていた。そんなのでは、わたいを連れて行くなどできない。一人で行かせるしかないのだ。

だんだん、母親は自分一人での外出もままならなくなる。骨粗しょう症でというより、肝臓病が進んでいた。それと引き換えに、わたいの行動範囲が広がる。なんということ。

母親が亡くなる1ヶ月前、六アイの病院に入院していた。頻繁に病院に通ったが、その年はなぜか車窓からの紅葉がなかった。

その年の木々が寒寒としていたお陰で、わたいはまだ紅葉が好きでいられるのかもしれない。

赤く色づけ!