そして僕は途方に暮れて弥猛な男になった

あなたは無一文で京都に行ったことがあるか! わたいはある! どや、惚れたやろ!!

行ってきました、京都でのある公演。わたいは切符を買わずに電車に乗ることが多い。ほんで、降車駅で料金を払う。どっちみち駅員さんに財布からお金を出してもらうので、その方が、駅員さんが切符を買う手間が省ける。いやまぁ、こっちから降りた駅で払うとは言わへんけどね。

だから、普通だったら切符を買うときに財布を忘れてきたとわかるのよ。ほんで家まで取りに戻る。ところが、上のような事情で目的駅に着くまで財布がないとわからない。いざ料金を払う段になってわかっても、これ、どうすんのよ。笑うしかない。

いや、もう、ないもんはないのよ。ないとこから取れん。完全に「掛け取り」の世界だ。こんなんしゃーないというのは向こうもわかっている。ないもんはしゃーないということは誰でもわかる。で、帰りに払うということになる。

はい、釈放。無罪放免。正義は勝つ! なんでやねん!? どうすんねん? どないして帰りまでに金、工面するいうねん!?

公演のチケットも財布に入れてあった。・・・笑うしかない。なのにわたいは京都にいるの? 京都の街がそれほどいいの? こ〜の〜〜わた〜しの〜愛よりも〜おぉぉ〜〜〜・・・歌ってる場合ではない。ないもんはしゃーない。とりあえず会場へ。・・・他にどこに行け言うねん!(誰に切れてんだか?)

これがさ、いっぺんも行ったことのない劇団の小演劇とかだったら万事窮すよ。こんなん「チケット忘れたけど入れて」なんか言うたら、ただの車椅子の不審者よ。けど、この公演のとこはいつもよく行ってんねん。この日の会場は入り口に数段、階段があるから、前日に「よろしく」と連絡も入れてるし。連絡入れてるからて、チケットを買ってる証拠にはならんけど、まぁ、気のもんです。はるばる神戸くんだりから来とう車椅子のおっさんを追い返すということはないでしょ。慈悲にすがるしかない。

スタッフの人に事情を説明したら苦もなく入れた。ありがとう。顔パスです。わたいもえろなったものだ。エロなったのではない。エロは初めからだ。ほっといてくれ。

その人に「○○先生、来てはりますか?」と聞いた。「たぶん、来やはると思います」。ラララ、ランランラン、ラッキー!

これが落語会だったら、客席に顔なじみの方も何人かいる。普段、目が合えば会釈程度の方でも、泣きついたらちょっとくらいは貸してくれるだろう。泣きついたらというても、恥も外聞も捨てなくてはいけないが。けど、この日は落語会ではない。客席に知った顔はいない。頼りは先生ただ一人なのである。

「あのね『頼り』というてもね、先生でしょうが、先生・・・」と、わたいの良心が呟く。そんなもん、自分が非公式に師事しとう先生にですよ、金借りるて、そんな人の道に外れる行為をですよ、するてねぇ。これはいかん! いかんのやけどもねぇ、ないもんはしゃーないのよ、ホンマ。ほんでまた、この日記、これ以上、展開ないのよ。どうすんのよ。尻すぼみやんか。弥猛なん、チケット持たんと入って、先生に金借りるということだけやん。「だけ」というても、それだけでも常識外れやと思てんけど、なんかもう一波乱二波乱ほしいと書いとって思うのよ。・・・そんなもん、その場になったら、そんな悠長なこというとう余裕あるか! 一銭も持ってなかったらどんだけ不安か。心臓パクパクやねんぞ、アホ!(「アホ」て、盛り上がりに欠ける展開に、完全に取り乱している)

程なく、先生が来場されて、事情を説明してお金を借りる。地獄に仏をこれほど実感したことはない。

先に書いたように、この会場は入り口に階段があって、混雑してたらややこしいので、会場前に入れてもらった。そういうときは、入場時に配られる、チラシの束を挟んだプログラムをもらいそびれることがよくある。いつもはあとから「ちょーだい」と言うのだけど、さすがにチケットなしで入れてもらっただけに・・・それは言えなかった。

どこが弥猛やね〜〜〜ん! 目一杯、小心もんやないかーーー!

帰り、鴨川の橋の上から身投げしようとしていた文七に、今借りたなけなしの金をくれてやったということはないのでご安心を。