またまた今年を総括すると

桃栗三年柿八年

無念じゃ残念じゃ、M子直美結婚2周年!

意味もなく、お決まりだから書いてみました。

http://d.hatena.ne.jp/tanich/20061231 http://d.hatena.ne.jp/tanich/20071231

談春さんの「芝浜」がよかった。器が大き過ぎて落語には不向きだと、上方のほとんどの師匠方が手を出さなかったフェスティバルホールの建て替え前の終焉を飾る落語会。禁断の果実をもぎ取るような素晴らしい高座だった。

あそこまで人間の奥底までえぐってさらけ出す演出を見たことがない。そこに談春さんはいなかった。魚屋とその女房しかいない。あんな女房なら結婚したい。無性にそう思った。可愛い。旦那思いの女房だからということではなくて。

魚屋の男は改心して熱心に働くようになったわけではない。人間、そう簡単に変われるもんじゃない。と、談春さんは途中で注釈を入れた。なるほど。その方がわたいはすっきり聞ける。

男は酒が好きだ。同時に仕事も嫌いではなく、魚を見る目、職人としての腕もいい。けど、働かなくて飲めるならそれがいい。

ところが、遊んで飲んで失敗して、借金まみれになって夫婦で心中というのが最優先で嫌なのだ。死にたくない。だから、酒をやめて働く。完璧な道理だ。

女房の方も別に旦那を改心させて真人間にさせたいというような立派な考えではない。ただ、自分が頭に描くような幸せな暮らしがしたい。それだけで、旦那に毎日、普通に働いてほしいと願う。互いが相手を思いやるというのではなく、いわばエゴなのだ。

最後に、女房が旦那に嘘をついたことを詫びる。そこでいつもの「芝浜」なら、旦那は嘘をついてくれたことに感謝するのだけど、談春さんのは「ありがとう」を言わない。女房が「許してくれるかい?」と何度言っても「もういいよ」と答えるだけ。「もういいよ」の調子が凄くいい。涙がとめどなくこぼれる。こういうエゴが、人間が生きていく上で一番必要なんじゃないだろうか。

何百回に一回でも、こういう高座に出会うために、わたいは落語会に通う。

どこが今年の総括や!? いや、ごもっともで。

わたいが言いたいのは、わたいの今年は怠けていたということです。人間、簡単に変われるもんじゃない。けど、わたいにも危機感が募ってまいりました。危機感はいろんな危機感です。自分のために怠惰を打破せなあかんのは確かです。

わたいは魚屋の勝になります。いい年を迎えます。皆さんもいいお年をお迎えください。