天使の慈愛のおすそ分け

東京に住んではる有名人マイミクさんにリポート書けと命令されたので。

週に二度続けて師匠の「らくだ」を聴く。若旦那の「地獄八景」も。濃いぃ1週間だ。落語とは関係ないが、世界のスーパースターSO、スティーブン・ラーカムも明日見てこよう。濃いぃ1週間だ。

師匠の「らくだ」はまだ固まってないんだと思う。もちろん、不完全という意味ではない。一期一会の、その瞬間のベストの高座を聴かせていただける。部分部分で付け加えられたり、削ぎ落とされたり。進化の途上。進化する至福の揺れ。

あっ、そうそう、らくだはゆらゆら揺れながら起き上がる。下げだと思った拍手をかき消す、揺れから放たれた空気にゾクゾクする。

その揺れ前からのラスト部分、場内が暗くなり、師匠がライトに浮かぶ。怪談噺のような様相。師匠は演劇的な落語を模索してはるそうだが、確かにそれを実感できる。坂本長利さんの一人芝居「土佐源氏」が頭をよぎる。この「らくだ」は一人芝居なんだと思う。

一人芝居? あるテレビ番組を見て、暮れからずっと思い続けている夢物語がある。いつか師匠に演じていただきたい。そんなことを思っていた矢先の、この演劇的落語。涙が出るほど嬉しい。

いや、涙は実際出る。「らくだ」で泣くなど、師匠の「らくだ」を聴くまで考えられなかったことだ。師匠が「らくだ」に込めたメッセージ「生きてるうちは嫌われてても死んだら仏やないかい!」はたまらない。

あの蛇足は、天使の慈愛のおすそ分けだ。あの蛇足があるから、わたいは希望を持って明るく生きていける。

若旦那のスマートな「地獄八景」を聴いていて、師匠の「地獄八景」も聴きたくなった。

師匠、師匠の思い出の中のお母様や青木先生、六代目は私落語を聴かせていただくことで、私たちの心の中にも生きています。それで欲張って、今のお母様、青木先生、六代目にお会いしたくなりました。「地獄八景」の中でお会いさせていただけないでしょうか。