怒っている

オイラがもし独裁国家に生まれ、暮らしていたとしても・・・。

見ず知らずの軍隊がやって来て、このメルマガを読んでくださっているあなた方の命を奪ったあげく「さあ、自由な生活を上げましょう。感謝しなさい」と言われても、オイラは両手を広げてそれを受け入れることなど、できはしない。ましてや、オイラが子供を奪われた親だとしたら、ぞっとする。それでも、恨みの心を持たず、ただ感謝しろと求める人たちがいる。

本当に本当に本当に愛している人のためなら自分の命を投げ出してもいいという自己犠牲の精神を人は持っているだろう。あくまでも本当に愛している人のために。でも、子供たちはみんなのために死んでもいいとは思っていない。こんなの、理想の社会を作るための尊い犠牲でもなんでもない。

「あなたたちのために私たちは戦っているのだよ」と言っている人たちは、この戦いが長引いても何ら構わないとも言っている。それは自分の頭の上に砲弾が落ちてこないから。自分たちが救おうとしている人たちの命が、一日一日少なくなっていくことをわからないはずがないのにもかかわらず。

相手の国土を攻撃したことはあっても、自分たちの国土を攻撃されたことのない人たちには、何を言っても通じないのかもね。そもそも、自分たちの国土も、元から住んでいた人たちを殺し、略奪したものだし。

2年前のあの日のことを非難する資格は、もう、あなたたちにはないよ。実際に家族や友人を亡くした人以外は。

開戦してしばらく経つと、テレビや新聞の報道はこの戦いにかかる費用のことに目を向け始めた。兵士の給料はいくらだとか兵器の輸送費、燃料費・・・etc。

戦争は何のためにするかといえば、答えは一つ。誰かが金をもうけるためにだ。資源の権益を得ようとする人、武器商人のために関係のない人たちが血を流す。

これだけの多額のカネがかかるから、長引かせてはいけないという尺度で戦争を捉えるマスコミは、カネのために戦争をしている人たちと同罪だよ。

先日、電車の中でアラブ人のグループといっしょになりました。ベビーカーに乗った子供を連れた母子2組と、お母さんと同年代の女性一人の5人連れでした。ベビーカーに乗っていたといっても赤ちゃんではなく、二つ三つの子。ゼリービーンズを食べるでもなし舐めるでもなし、その様子がとても可愛かったです。そして、大人3人はおしゃべりに夢中でした。アラブの言葉だから、何言ってるのかわから〜ん。

オイラはいつも途中の駅に止まったとき、開閉するドアの反対側のドアのところにいるんですが、その日はそこに彼女たちがいたんで開閉する方の隅っこよりにいました。

二駅目で止まったとき、数人の乗り降りがありました。そのとき、誰かがオイラに当たったんですねぇ、ポトッと帽子が落ちちゃいました。なぜ、そう簡単に落ちちゃうかというと、オイラは冬にかぶるためのシックな色合いのちょっと厚め生地の帽子とのめぐり合わせが悪いからなのでございます。どれもサイズがちょっと小さいんです。買うとき、ちゃんとかぶって確かめるんですがねぇ。何でだろー。ドンくさいから? うん、たぶん、そうだと思います。

で、拾おうとしたんですが、オイラが拾う前に、サッとアラブのお母さん、拾って頭にかぶせてくれました。ふくよかな、にこやかな笑顔が自然でした。「ありがとう」

アメリカの同盟国、イラク戦争賛成を表明している国、日本でもイスラム教過激派グループによるテロが心配されています。もし、日本のどこかで惨事が起こったとしたら・・・。

あのアラブ人親子たちは周りの者から白い目で見られるでしょう。嫌がらせを受けるかもしれません。今も心無い人から多少は受けているかもしれません。オイラはあの笑顔を曇らせたくはありません。

それから数日後、今度は神戸の繁華街、元町の商店街を一人で歩いていたときのことでございます。前から、どう見ても紳士風とはいえない風貌のおっさんが自転車を押して来ました。

「ガツーン!」おっさんはオイラの車椅子に自転車をぶつけてきたんです。オイラは目が点。おっさん、叫びましたねぇ。「でかい顔しやがって!叩っ殺したろか!」 オイラは立ち止まらず振り返らず立ち去ったのでございます。

昼間で人いっぱいいたからいいですよ。これが夜で人通りがなかったらねぇ。まぁ、口だけだとは思うけど、それにしても、オイラ、100%おしっこチビリます。車椅子、ショートして故障します。えらいこっちゃ〜。

おっさん、オイラ、気が弱いんやから、二度とオイラの前に姿見せんといて。そやけど、あのセリフ、どっかの国のトップの人が言ったら似合うやろなぁ。ぴったりハマルで。