花緑ごのみ

初参戦。ちょうど、画期的なスタイルでやらはる一回目に期せずして立ち会うことができた。ラッキーだ。

落語にとって、和服、座布団、扇子は意味があることだが、それにこだわることに意味はないんだと思う。椅子に腰かけるのは、五郎兵衛師匠も晩年は床几に座ってはったし、落語の起源の一つ、寺で和尚が檀家を集めて面白い話をしていた頃のことを考えても、上方では特に違和感はない。

震災を落語にする勇気。それも「崇徳院」とフュージョンさせる発想。はやぶさの落語では、宇宙を舞台にしたスケールの壮大さと同時に、はやぶさ君のいじらしい可愛さが胸を打つ。

こないだの三三さんの「円紫さんと私」もしかり、何が飛び出すかわからないびっくり箱的魅力も、わたいが東京の落語に目を向ける理由だ。

花緑ごのみ、裏を返そう。それに、帰り、次の花緑さんの高座のチケット、思わず、買いに走っちゃったもんね。