粋はよいよい、帰りはこわい

寄席通いしていてホントによかった。でなきゃ、生で小金治師匠を見る機会なんてなかっただろう。御年数えで81歳。かくしゃくとしてはる。元気ビンビン。大阪での高座は50年ぶりだそうだ。わたいも生まれていない。
30くらいから映画・テレビで活躍してはって、還暦過ぎた頃から高座に戻ってこられたそうだ。もちろん、そのブランク期間中も一人でこつこつと稽古は続けてはったと言う。他の仕事はしていても、落語を捨てるわけにはいかんと。
今日の根多は「芝浜」。笑いの少ない人情噺。変わった趣向などない。それが聴かせてくれる。息と間、これが絶品。これぞ江戸落語の粋。切れ味鋭くシュッと下げに持っていく数秒の空気感には唸るばかりだ。
サービス精神も旺盛。トーク・コーナーでは、若いときの、小さん師匠の家に稽古を付けてもらいに行かはったときのいい話で“泣きの小金治”再現。こちらの心もあったまる。お得意の草笛も聴かせていただいた。幕間では袖から出てきはって、客の相手をして時間を繋いでくださる。
来年も大阪に来てくださることを約束。いや、毎年来てくださるそうだ。こんな嬉しいことはない。江戸の粋をいつまでも味あわさせてください。
帰りの電車に一人の男性。30代半ばかな。仕事帰り、スーツ姿、痩身、頭髪薄め、イヤホンでなんか聞いてる、ごく普通の男性。チュッパチャップス舐めてる・・・。
別に何を舐めてても個人の自由だ。それは十分に承知してはいる。が!「粋という字を知らんのか!」と、後ろからスリッパで頭をはたきたい衝動にかられたのも事実だ。
電車を下りて、夜桜の下を通りながら、犯罪を犯しそうになった自分を懺悔し、悔い改めたわたいは粋か!?