中国の講談

何事も勉強、蘇州評弾を聴きに行った。蘇州の方言で演じられる講談だ。

講談の歴史は中国1,200年、日本500年と中国の方が古い。現在も、落語の繁昌亭のように、そこへ行けば毎日、講談が聞けるという定席がいくつもある。入場料も低価で、お安く楽しめる娯楽として活況を呈しているそう。

もちろん、中国語だから日本語字幕が出る。でも、まぁ、ストーリーを追うのは程々でええでしょ。日本の講談とどう違うのかやわ。

評弾というのは2種類あって、両方聴かせてもらった。一つは評話といって、これは日本の講談に近い。違うのは立って語るところ。日本でも立ってるんちゃうのんと思ったあなた、それは浪曲です。

立ってるから身振り手振りが大きい。手の動きが、何となく太極拳を思わせた。さすが中国4千年の歴史だ。いや、さっき1,200年と書いたばっかりやないか。三国志の武将の乗る馬のいななきもリアルに派手に。全体的に耳目にインパクトのある舞台だ。

評弾のもう一つは弾詞という。これは二人で演じる。この日はご夫婦で演じてはったが、たぶん、男女で演じるのが普通なんだろう。華やかだ。チャイナドレス、好きです。

この日の演目は水滸伝の抜き読みで・・・。抜き読みてわからん? 講談は水滸伝にしても三国志にしても、日本の難波戦記にしても長い話が多くて、毎日、続く、続く・・・と連続して上演するのが、元々、通例のスタイルやってん。それを1回の公演で「続く」にせんと、1部分だけ抜いて読むのが抜き読み。

話を戻し、水滸伝の抜き読みで、登場人物は3人。これを二人で演じ分けるから、場面によって男性が演じていた役を次は女性が演じるということもある。そこらへんの妙も楽しい。

弾詞と日本の講談の相違点は二人と一人という以外にもあって、弾詞は楽器を持っている。三味線のようなのと中国琵琶のようなの。いや、あれは「ような」ではなく中国琵琶か。弾き語りの部分がある。ミュージカルも味わえちゃうのである。まさに一粒で二度おいしい。

この弾き語りが、沖縄の照屋林助さんのワタブーショーをちょっと連想させた。テルリンさんといえばチャンプラリズム。チャンプラリズムはごちゃ混ぜ文化。もしかしてルーツに弾詞も入っているのかも。

というようにいろいろ勉強になった。評弾から駒である。・・・も、忘れてちょうだい・・・・・