大丸屋騒動

という噺を初めて聴く。団四郎師匠が五郎兵衛師匠から最後に稽古を付けてもらった噺。その後、階段からこけはったという。こういう噺は露の一門のお家芸のイメージがある。いい芸が最後にまた一つ受け継がれた。

こういう噺はどういうんでしょ。人情噺? でもないような気がするし、幽霊が出えへんから怪談噺でもないし。まぁ、怪談噺も人情噺の中に入ると思うので、これも人情噺か。人の情には恐ろしいどろどろした面があるわけで。

凄惨な噺だ。コロンバイン高校の銃乱射事件を思わす。誰でも簡単に銃が入手できる、アメリカの銃社会が生んだあの事件のように、妖刀村正がなかったら、この無差別連続殺人もなかったんだろうね。人の情のわずかな隙間に、妖刀の魔性が付け入ったということか。くわばらくわばら。

こういう種類の噺に落ちが必要なんだろうかと、ふと思った。陰惨なストーリーに心が鬱々とした客に、これは落語なんだということを思い出させる効果だろうか。もっと違った形で閉めることはできないかと考える。でもわからない。難しいなぁ。ガス・バン・サントの「エレファント」をもう一度見直そうか。

さぁ、五郎兵衛師匠のお別れ会に行ってこよう。

あっ、因みに、昨日、まるちゃんが枕を喋っているとき、会場内に「キーン」という音が響いたんだけど、あれは五郎兵衛師匠が聴きに来てはったんか。と、ありがちなことを考えてみる。