余命1ヶ月の花嫁

映画を観る数日前、ドキュメンタリー番組の再放送を観た。やはり涙が止まらなかった。生きてることの大切さ、ありがたさ、それと、感謝する心、勇気、優しさ、希望、そういった人生で大事にしなければならない諸々を千恵さんに教えられた。

そして映画を観た。ドキュメンタリーで千恵さんのこと、千恵さんの周囲の方々のことはかなり理解していたつもりだったのだけれど、映画を観て初めてわかったこともあった。心の奥底の表情が窺えた。

そりゃそうだろう。スタッフさん、俳優さん方が長い時間をかけて、この映画のために、千恵さんのメッセージを伝えるために、千恵さんやその周囲の方々のことを深く深く推察してできた映画なのだから。

撮影中、瑛太さんは自らの役のご本人の太郎さんがスタジオに見に来ても、一言も口を聞かなかったそうだ。撮影が全て終わったとき、無視してきたことを詫びた。安易にご本人を真似るというようなことはしたくなく、完全に自分の頭で把握して理解して、考えて考え抜いて太郎像を演じたかったと太郎さんに伝えた。すると、太郎さんは気にしないでほしいと答えた。太郎さんはそういう理由からだろうとわかってはった。

父親役の柄本明さんにも心を揺さぶられた。

わたいは実話を元にした映画があまり好きではない。モデルの人物や関係者に遠慮した作りになるからだ。単にエピソードを美化するということだけではなく、観客側にモデルの人物のイメージがある場合、それをそのイメージのまま表現するにしろ、あえてイメージを大胆な解釈でぶち壊すにしろ、どこか肩に力が入って、ピュアな作品ができないことが多い。

しかし、この映画は例外だ。千恵さんは自分の映画ができたことを知らない。でも、彼女ほど、映画ができたことを喜ぶ人はいないだろう。それだけで何も言うことはない。その喜びがピュアなのだ。映画を観たことで喜びのおすそ分けをもらったような気分だ。

★★★★★