居場所

映画2本観てきたった。両方、自分の居場所にしがみつく話だ。

あっ、ネタバレしてます。まぁ、初めの方はネタバレしてなくても、観てるうちに先の展開が読めるストーリーだから、別にかまわんか。先が読めるとはいえ、楽しめることは楽しめる。あとの方は・・・、あのね、わたいの日記を読んでくれてはるお方は、もう観にいってくれてるやろね・・・

「レスラー」。20年前のスーパースター的プロレスラーが、今は年もいって、うらぶれた小さな会場でレスラー生活を続けている。昔の名声でそこではメインイベンターだ。鉄条網や砕け散った特殊ガラス板の破片で、全身血まみれになりながら。けれど、それだけでは生活できないので、スーパーでアルバイトもしている。

心臓を手術して一度は引退を決意するが、プロレス以外に自分の居場所はないと、また舞い戻る。

怖い居場所だ。一日一日自分の命をすり減らしながら。でも、そこでしか生きられない。あるがままに。どんな居場所であれ、居場所があるということは、孤独の寂しさを受け入れたら、ある種、幸せなんだろうな。

もう1本は「ディア・ドクター」。2回目。ディア・ドクターづいている。この夏はディア・ドクターの夏だ。

先の日記にも書いたが、医療現場というのも怖い居場所だ。人様の命を預かる。取り巻く家族の人生も預かる。本物の医者ならちゃんとした指針もあるが、偽医者だから情に流される。それでいいのか悪いのかわからず、オロオロしながら、それでもその場に居続ける。

2回目の今回は違う角度から観た。師匠が、八千草薫さん扮する鳥飼かづ子とのシーンはラブシーンだと言ってはったので、そこだけに注目して観た。

恋愛映画だと思って観たら泣けた。誰にも言えない嘘を背負って生きる、師匠扮する伊野が、唯一安らげる場所が、自分の病気を家族に隠すという嘘をついているかづ子の家、かづ子の傍だった。一度は逃げた伊野がラストでかづ子の傍に戻る。この先、かづ子が死んだときの伊野のことを思うと泣ける。

わたいはわたいのホームグラウンドにもたどり着いてなければ、安息の地もない。

しゃんとしなさい、しゃんと!

追伸

「ディア・ドクター」のラスト近くで、駅のホームで伊野と刑事がすれ違うシーンがある。刑事は伊野を追っているが、横にいることに気がつかない。電車が通過する。伊野の姿が消える。これからを暗示する象徴的なシーンだ。

ここでつい笑ろてもたやないの。

先行上映のとき、上映後、舞台上の師匠に「あれは電車に乗ったのか?」と質問した、どこの誰かはわからないお方、この質問は勉強になりました。

師匠の答えが「電車動いとんねん!鼻打つわ!」