冥土有浮世狂言

「まいどおおきにうきよのおしばい」と読む。南座での狂言会なので、歌舞伎風外題の読み方だ。また、狂言では普通はない、序幕第一場、第二場などの舞台転換があったり、セリを使ったりもする。セリといえば、いうなれば和風エレベーターだ。どこに行っても場所移動で「エレベーターはどこ?エレベーターはどこ?」と探すわたいだ。一度、セリにも乗ってみたい。わたいはエレベーターフェチか?

古典芸能は、古典を守り続けるだけでは芸能として成立しないと思う。それを改めて実感させてくれる会だった。極論すれば、古典は空気だけでいい。その古典の空気の中で、今をどれだけ遊べるかだ。実際、室町の時代に生まれた狂言は、今日まで時代時代で少しずつアレンジされながら現在に至っている。

あっ、古典は空気だけでいいと書いたけど、この空気を表現するのが大変難しいということは断っとかなくては駄目だよね。狂言に限らず、落語にしろ何にしろ、プロと呼ばれる方はそれができるからプロなんだから。古典の空気は微妙だ。

とにかく、この会は茂山狂言の真骨頂だ。「辺りが暗くなってきたが、もう晩になったか」「いや、日食や」という台詞が狂言に出てくる。総理の椅子の軽さを皮肉った台詞も出る。まぁ、これは大名や山伏のようなえらそぶった権力者をおちょくるのを得意としている狂言からしたら普通のことなんだけど。おかげで、普段、狂言をよく聴くわたいの山伏像のイメージ悪い悪い。狂言には、ずるくてええ加減な山伏しか出てこないから。いや、もちろん本当の山伏さんは修行を積んだ人格者です。わたいは細心の注意を払って日記を書いている。

千五郎先生が「ややこしや、ややこしや」のフレーズを口にする。そのあと「これは違ううちの台詞やった」とポツリ。これには大爆笑。

わからん人はほっときます。義務教育やないんやから。(わたいはテントさんか?) 「ややこしや、ややこしや」でも「間違いの狂言」ででも検索してください。

古典の空気というのは大変重宝な面も持っている。日常で使えばただの親父ギャグのような洒落も、狂言の中では、まさかそんなん言うとは思わん意外性から、強烈な威力を放つのだ。

この世とあの世を自由に行き来できる小野篁(おののたかむら)が用があってあの世に出かけるとき、傘持ちに「冥土は近くにもあって、この日本の中にもある」と言う。「本当でござるか」「冥土・イン・ジャパンと言うではないか」

その他、ゲストの南光師匠が宙乗りで空を飛んだり、何が飛び出すかわからないびっくり箱のような会。とか何とか書いといて、日記でネタバレさせてええんかと自分でも思うが、まぁええでしょ。堅苦しく思われがちな狂言が、実はこんなに面白いんだと伝えるためだから。まっ、いつもは英語も宙乗りも出てこないけど。

最後の締めはやっぱり千作先生の福の神。この福の神の笑ったお顔を観たことがないお方は、人生一生の不覚と思ってください。

こうやって何百年もの伝統は、その時代時代に受け継がれる。と余韻に浸りながら神戸まで帰ってくると「どんどんぱんぱんどんぱんぱん」とにぎやかなりし音色。家の近くの公園で夏祭りの盆踊りだ。いなかっぺ大将の大ちゃんなら、思わず踊りの輪の中に入るところだろうが、さすがにそこまではしない。ただ、公園から家まで「どんどんぱんぱんどんぱんぱん」と口ずさみながら帰りました。

日本の夏の伝統、夏の風情だ。