噺劇

1週間前やけど、九雀さんの噺劇を聴きに行った。噺劇は「しんげき」と読む。九雀さんが、落語の根多で自分の人(にん)に合ってないと思う噺や、照れくさくてとてもできないような人情噺を劇にして、4、5人の役者さんで演じる。九雀さんは本を書いたり出演もする。昔はリリパで役者もやってはったしね。演劇もお手の物だ。

4年前からやってはる舞台の形態なんだけど、このスタイルを考えたきっかけは、演劇は金がかかり過ぎるということだ。まぁ、落語と比べたら、それがよくわかるわね。落語会は出演者が最低一人でできる。お囃子さんとか手伝いの人を入れても、5人もいればなんとかできる。演劇はそうはいかない。出演者も多けりゃ裏方さんもいっぱい。大道具小道具も作らなくてはならない。出費はかさむし、残った利益を頭数で割ったら、そりゃ、小劇団なんて大変だで。

噺劇は落語会のように4、5人でできる。セットはなし、小道具もいらないので、裏方さんもいない。役者と三味線さんだけでいい。ホンマに落語会的な感覚だ。

さすが九雀さん、舞台も演劇というより落語的だ。元々、落語を劇にするというコンセプトだったんだけど、わたいが初舞台を観た感想を「何人かでやる落語のようだ」と伝えたら「なるほど、そういう見方もあるなぁ」と言ってくれた。

九雀さんが協会に復帰したからできる繁昌亭での公演。この日の演目は「蜆売り」。これも人情噺。この話は、本来の落語ではやりようによっては暗い、重苦しい印象も受けるんだけど、噺劇ではそんな感じはせず、カラッとしたライト感覚な舞台だった。九雀さんテーストがにじみ出てて、いい舞台だった。

繁昌亭の会の翌日が東京での会。同じ噺劇をやる会だけど、内容はかなり違う。東京では落語が三席、うち一席が噺劇のゲストでもある、コント赤信号の小宮さんの落語、そして噺劇が「蜆売り」と「転宅」の二本。まぁ、この、噺劇二本と落語というのが、今までの噺劇の会の形。繁昌亭では噺劇一本と落語が四席。小宮さんの落語はなし。

んーっと、なんか繁昌亭では会全体の半分以上が落語でないといかんらしい。二時間の会なら、一時間以上が落語でないとあかんのやろね。それから、プロの噺家以外は落語をしてはいけない。だから、小宮さんが落語をできなかったんだ。

キビシイ決めやね。前ぇはどっかに落語が入ってたらいいという、ユルイ決めやったと思うけど。わたいの考えだけど、あんまり細かいルール作らん方が、落語の世界的空気が感じられていいと思うんやがな。

もう一つ決めがあって、取りは落語でないとあかん。そやから「蜆売り」は中取りの位置でやってはった。なんか違和感あるわ。だいたい、演芸と劇がある公演では、芝居が最後でしょ。吉本なんかもそうでしょ。今までの噺劇の会もそやったし。

でね、その3日後の繁昌亭。元祖大阪名物あほの会。この日はあほの会メンバーによる芝居があった。それがさぁ、中入り後の取りよ、取り!? 最後に芝居したらあかんのんちゃうの? あっそうか、舞台セットの関係で最後でないとできひんのんか。と思ったら、セットも何にもあらへんがな。全く噺劇と同じ条件。

やったもんが勝ちか・・・

九雀さんにちくったろか・・・