ゴリラゲップのち志の輔独演会

神戸は夕方5時前後の1時間余り、ゴリラゲップ、いや、ゲリラ豪雨に見舞われた。雨はそのときだけだった。

雷鳴轟き、激しい雨に打たれて、わたいはちょうどジャストのタイミングで、家から出て駅へ向かったのだった。

あほや・・・

でも、やったら行けるもんやねんな・・・

はい、行きました、志の輔独演会。師匠も「東京では一度もゴリラゲップに遭遇したことがないのに、何で神戸で」と舞台で言うてはった。いや、ゴリラゲップとは言うてはらへんが。わたいが家を出た時刻と師匠が新神戸駅に着かはった時刻が同じだったんだろうなぁ。「皆さん、これ、チケット買ってるし、しょうがないから来たんでしょうなぁ」と。いえ、わたいは師匠の落語を聴くためなら、たとえ槍が降っても行き・・・たいけど、さすがに槍が降ったら行けないか。だいたい「雨が降ろうが槍が降ろうが」という慣用句はおかしいと思う。雨なら行くが、槍が降ったら行かないという人が大半なんではないだろうか。やはり、自分の命は可愛い。

何の話やった? そうそう、ゴリラのゲップは臭い・・・ちゃうわ、志の輔独演会の話です。

「こぶとり爺さん」にしろ「異議なし!」にしろ、いつもながら師匠の着眼点には敬服する。言われてみれば、そうです。確かにそうです。そこには気がつかなかった。こぶとり爺さんはおかしな話です。何が言いたいのか、意味がわからない話です。

そして「井戸の茶碗」。これはわたいの中で落語中の落語と呼べる。師匠の井戸茶がだ。全編、笑いに包まれるのはこの根多に限ったことではないが、知らず知らずのうちにすんなりと正直清兵衛に感情移入できる。だから、二人の武士の間で右往左往する清兵衛が、最後に開き直って「届けたければ自分で届けろ!」と叫ぶところで、わたいは泣ける。周りの客は笑っているが、わたいは泣けるのだ。言ってることは当たり前のことなんだけど。「強者は弱者の気持ちを考えろ」という意味の言葉が心に響く。正論がいつも正しいとは限らない。うん、確かにそうだよなぁ。

終演後、ロビーに貼りだされた「今日の演目」に人垣ができていた。ケータイで写メを撮っている。これはいつものこと。わたい「異議なし!」だけ演目名をど忘れしていた。年は取りたくない。で、演目名を見るために、人垣が引くのを待っていた。頭で見えないからね。

すると、傍らでホールのおねえさんが何やらメモしている。「あれ?もしかしたらそうかな」と思ってたら、やっぱりそうだった。

「これ、どうぞ。字ぃ汚いですけど」

この子はきっといいお嫁さんになるなぁ。

11日の日記、加筆しました。