中村仲蔵の花道

あらかじめ申し上げますが、一昨日、日曜は、わたいの身辺に何も事件は起こりませんでした。がっかりです。そして、温泉旅館の女将は結局、なぜスコップを持って竹やぶに入っていったのでしょう。(志の輔師匠の「ハナコ」をご存知の方だけお笑いください)

いや、小降りで距離が短かったら雨具なしでタァーーーと突き進むわたいでも、確かに「濡れ合羽」ちゃうわ、レインポンチョを着なくてはいけないくらいの雨の降りようではあったが、暴風雨ということはなかった。風は普通だったもんね。おもんない・・・いや、幸運を喜ばなくてはいけない。

そう、そんなことで「おもんない」と言っていてはいけないのである。左様、言葉で言い表せないほど素晴らしい舞台だった。

春秋座という、花道のある劇場で志の輔師匠が思う存分遊んではるのである。全く楽しそうだ。いつものように、そんじょそこらの滑稽噺なぞ比べ物にならないくらい笑える人情噺。そして、花道。

花道の使い方に驚いた。こんな使い方があるのか! こんな舞台を目にすることができたことに、至福の吃驚だ。

花道にライトが当たる。

それだけだ。ただ、それだけなのだ。それだけなのだけれど、そこには雨の中を走る定九郎が見える。確かにいる。それは師匠のト書き語りと絶妙な間のなせる業。普通、落語ではあまり良しとしないト書きだが、師匠のト書きは志の輔らくごにリアリティを吹き込む、なくてはならないファクターだ。その緊迫感。黒羽二重に白塗りの仲蔵、一世一代の名演技に息を飲む。

超越している。これはもはや、落語ではない。

同じく落語のエンターテインメント性を追求する鶴瓶師匠が、唯一嫉妬するのが志の輔師匠なのではないだろうか。

鶴瓶噺2011でラストに現れるクリスマスツリーや、この志の輔仲蔵の花道、これらを語れる、わたいはいい時代に生まれた。