心のふるえ

日曜、家から歩いて25分の落語会に行く。電動車椅子だから、25分の距離は楽々で、自分の庭みたいなものだ。2時開演で3時半終演とコンパクトな会ながら、内容はどれも充実していて満足。佐ん吉さんのパンプキンのクスグリは、聞くのは2回目だが、これ、聞く前からわたいも同じことを考えていた。初めて聞いたとき、思わず快哉を叫びそうになった。

帰りがけ、箕面のおっさんに声をかけられる。思いがけず「何でまた?」という疑問符が口を吐く。勝手に自分の庭だと思い込んでいたことを物語る疑問符だ。まぁ、考えたら場所が阪急沿線だし、結び柏系の会だから、箕面のおっさんの存在に何の不思議があろうか。

時間も早いことだし、声をかけられたゲン直しに梅見でもしようかと梅林公園へ。しかし、たどり着くことはできなかった。世の中、ままならない。線路の山側だとはわかっていたが、うろ覚えだ。駅より東を北上したが、西を北上しなくてはいけなかった。ただの徘徊になってしまった。梅の花は限りなく遠かった。

以前、ときどき買っていたケーキ屋に久しぶりに寄る。帰って、苺のケーキを仏壇へ。いつもは阪神梅田駅のところで買う百円台のケーキだが、この日は少し張り込んだ。といっても、普通のケーキの値段だが。

その前の金曜に「おとうと」を観にいった。ラストに近いシーンで、鉄郎の遺影にお姉ちゃんが焼酎を供えていた。

鉄郎は、窓から通天閣が見える場所にある、民間のホスピス的施設で最後の数ヶ月を過ごす。主に見寄りのない、裕福でない人のための施設だから、とても家庭的だ。周りのみんながあったかい。

東京に住むお姉ちゃんは、長い時間は傍に付いていてあげられない。危篤の知らせで駆けつけた、半日ほどの短い時間。短いけれど濃密な時間。今までの五十数年間の出来事がすべて浄化される。

わたいのお母ちゃんは、最後の1ヶ月、家で寝ていた。ホスピスも紹介されたが、お母ちゃんもやっぱり病院から家に帰りたいだろうと思った。ホスピスに入ったら、わたいもいっしょに寝泊まりさせてくれるようにはなっていたようだが。

10日ほどは会話も曲りなりにでもできていたんだけど、だんだんと意識がはっきりしなくなってきた。自分が子供に戻ってしまった。昼夜かまわず、しきりに自分のお父さんとお母さんを呼んでいる。よっぽどしんどかったんだろう。自分が最も頼りにしている人に助けてほしかったんだろうな。

自分が子供に戻ったので、わたいのことなどわからない。忘れてしまっている。

いや、その方がええんや。わたいのこと心配しながら逝かれるよりは。

けどね、わたいがお母ちゃんの枕もとにいる時間は少なくなった。

ホスピスにいたら、医療設備も整っているので、しんどさもちょっとは少なかったかもしれない。

5年前の日々を思いながら「おとうと」を観た。