来年三月十五日

今日は3月15日だ。高尾大夫が嫁にやってくる日だ。

先日の志の輔師匠の「紺屋高尾」これは本当に人情噺なんだろうか。終始、笑いにくるまれている。並の滑稽噺の比ではない。全体における笑いが生まれる時間の割合は枝雀師匠の「代書」クラスだ。

笑いに包まれるんだけど、やはり、久蔵と高尾が一夜を共にし、朝、久蔵が自分の素姓を白状し、高尾が怒るどころか「女房にしてくんなまし」と言う、あの場面は泣ける。泣いているんだけど、その「泣き」の時間にも、同時進行で「笑い」も継続している。

「泣き」と「笑い」が同時に押し寄せてくるのが、師匠の人情噺の真骨頂。「笑い」があるから「泣き」が何十倍にも増幅する。チャプリンの映画もそうなんだけど、チャプリンは同時ではなく、交互にやってくる感じ。「泣き」と「笑い」を同時に表現できる志の輔落語は、それほど凄いのである。

談春師匠のはサスペンス調http://d.hatena.ne.jp/tanich/20090525(ケータイからはhttp://d.hatena.ne.jp/tanich/mobile?date=20090525) 志の輔師匠のは爆笑劇と全く両極をなす「紺屋高尾」だけど、どちらも間違いなく超一級の人情噺。聴かなきゃ一生の不覚だ。

さて、この日のカーテンコール。志の輔師匠のお話は。

わたいは夜の部に行ったんだけど、昼の部のお客に書いてもらったアンケートに、師匠が休憩時間に目を通していたら・・・。

志の輔さんの会のチケットは取りにくいです。もっと大きい会場でやったら、もうちょっと買いやすくなるのでは」ふんふん。「私は大きい会場は嫌いです」どうせぇゆうねぇ〜〜〜ん。(こんな関西弁は師匠は使わないが、まぁ、こういうことです)

そしてもう一つ。これは5人のお客が同じことを書いていたと前置きして・・・。

久蔵が十八両二分貯めたら、親方が「あと一両二分貯めて二十両にして、田舎に帰って親孝行してこい」というくだりがある。十八両二分と一両二分足しても十九両四分だから二十両にならないと。

あのね、別に一両は何分か知ってなくてもいいんだけど、噺の中でこういう科白が出たんだから、四分で一両なんだと思うのが普通でしょ。よしんば私が五分と言うところを間違えて二分と言ったんなら「あっ、しまった!間違えた」と、オドオドした顔をする。これを書いた5人にどこかで会ったら、四分で一両だと教えといてください。

と言い残して、師匠は颯爽と東京に帰っていったのさ。

その5人がこの日記を読んでくれることを祈って書きました。